日本歴史と雑事記録

世界史と雑事記録

色即是空(般若心経の世界)


日本の現在を騒がしているのは、キリスト教紛いの旧統一教会だろう。真の宗教で有れば、キリスト教で有れ、仏教で有れ又イスラム教で有れば、壺や印鑑をべら棒な金額で売りつけたりはしないものです。その代償は「霊に取りつかれた者を払い除ける」と言うものらしい。どの様な言葉巧みに、その霊と言うのを信じ込ませるのかは知らないが、信じる者は「人生のどん底に沈んでいる時」かも知れません。


日本には古代から「百万の神」がいるのだが「現代に生きる我々には余りに古い」のです。今生きる現代人に宗教を説くならば「生き生きとした新鮮で真に生きてる宗教に成る」かも知れません。残念ながら韓国に本部が有る旧統一教会は「反日のオカルト宗教だった」のです。日本に食い込む為には遠大な計画が有って、反共を旗印にした岸家三代を利用したのです。現在、多くの国会議員が「オカルト宗教の毒牙に掛っているが」それは選挙での「票が欲しい為」です。


尚、韓国本部の宮殿にお住いの主(女性)は「大の反日派で生まれは北朝鮮」だと言う。日本で騙し取った巨額の金は、北朝鮮にも渡っているかも知れません。


安倍元総理が野党に向かって言う「君達には負けては成らないのです」と言われたら、言われた野党の方は「オカルト宗教に害された安倍総理に言う事等は聞きません」と反論すれば良かったのです。国会議員達の間では「旧統一教会の悪事は知れ渡っていた」らしい。恐らく、公安局や検察等から聞いていたのだろう。あの銃弾二発の閃光で、漸く我々全日本人が反日のオカルト宗教の存在を知ったのです。


宗教に頼ろうと思う者は近所に寺社が有るから、そこに頼るべきなのです。日本の寺社は本来が「宗教の殿堂で有って」悩み有る者を救うのが本来の仕事です。例えば「故瀬戸内晴美」の様な存在が必要なのです。そんな事を忘れて「観光等に精を出す」から、オカルト宗教に走るのです。


さて我々の一生は「危」とか「苦」で有ると強調するのは間違えです。我々の一生は「安らかで」且つ「楽しい」ものなのです。周囲には多くの人が居て孤独では有りません。つまり安楽な一生なのです。確かに永い一生の間には、思わぬ危険や不幸な出来事に会う事が有るのは勿論です。但し、それは旧統一教会の言うご先祖様の霊による、祟り等では決して有りません。今、私はパソコンに向かっていますが、それは「何かの原因(因縁)で向かっている」のです。書き終われば「そろそろ女房が昼飯の時間ですよ!」と呼びに来るはずです。目の前のパソコンにも寿命が有る筈だし、勿論私にも寿命が有る筈です。眼の前のパソコン(物体)も私の命も限りが有るのだが、それらは刻一刻と終局に向かっているのです。それは「苦」でも「危」でも有りません。それで良いので有って、それが「私と言う人間の存在価値」なのです。危や苦に遭遇しても「悔やむ必要も無い」のです。悔やむ事が深いほど逆に不幸が増して来るのです。

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