日本歴史と雑事記録

世界史と雑事記録

召集令状(赤紙)が来る(日中戦争)


↑は、昭和12年頃の東京に於ける「出征兵士を見送る風景(日中戦争)」だと言う。勝ってくるぞ!と勇ましく戦地に向かう風景です。然しながら昭和16年12月には、無謀な日米戦争に突入し、太平洋を中心に4年間戦ったが「日本軍の大敗」で幕を閉じました。長崎や広島に「原子爆弾を落とされ」多くの死者と被爆者も出たのです。


↑の様な、出征風景を知る人は、令和4年の現在で凡そ85歳以上の高齢者かと思われます。戦争をしてる当事国の壮青年は「否応なく兵隊として駆り出された」のです。その駆り出された方法は「赤紙の招集令状」です。


パソコン等で「招集令状 赤紙」等で検索すれば、実物を目にする事が出来る様です。赤紙は色が赤(染料が不足するとピンク色に変化したとも)で、当初は「毛筆で書かれ」印刷されてた」と言う。村や町や市の職員が直接持って来たそうですが、これもやがて手紙に変わったと言う。


独身で有れ妻帯者で有れ、赤紙を受け取った者は必ず戦場に出る必要が有って、激戦で戦死する者も多かったのです。戦死者は遺骨で戻ってきたと言うが、それは木の箱に入った遺骨では無く「石ころ」だったとも言う。


兄夫婦が居て、兄は召集令状が来て戦死したと言う。残された兄嫁とその弟が結婚したと言う話は良く聞く話です。

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