日本歴史と雑事記録

世界史と雑事記録

奇兵隊と世良修蔵と安倍元総理


↑は「錦絵、幕末明治の歴史4、講談社出版」からの転載です。この錦絵の戦場の様子は、幕府方として新政府に抗戦した元伝習隊の隊長大鳥圭介の姿を描いたものかも知れません。
大鳥圭介は新選組の土方歳三等と共に日光、今市方面に転戦したから、それを描いたものだろう。彼等はやがては会津から仙台へ、そして最後は五稜郭で敗れたのです。


表題の奇兵隊と世良修蔵と安倍元総理だが、凶弾に倒れた安倍元総理が総理に就任した時に言うには「私は奇兵隊の顰に倣い、、、」と公言したのを覚えている。オヤオヤ何を言うのかと驚いた事を覚えている。幕末の東北地方は奇兵隊出身(第二奇兵隊の軍監)だったと言う「世良修蔵」の為に悲惨な戦争が起きてしまったのです。作家の故司馬遼太郎も言っていたが、幕末に於ける東北地方の戦禍は世良修蔵が火を点けたと断言してたのです。彼は政府軍の下参謀として仙台(伊達藩)に乗り込み、会津藩打倒を督戦したのです。仙台での世良修蔵は、仙台藩主より格上の暴虐無人な行いで尊大で横暴、更には酒が好き女が好きの悪行です。その様な悪行は、お天道様にも許される筈も無くやがては「暗殺される」のです。


東北地方の幕末を語る時に、世良修蔵の悪行は必ず語られます。然しながら、山口県下関市等での世良修蔵の人気は高いようです。(山口県、谷林博著、世良修蔵)2チャンネル等には、安倍元総理は「世良修蔵の生まれ変わり」等と言う投稿も見られと友人は言う。


さて江戸後期の東北地方はナゼ時代遅れ(貧乏した)に成ったのかだが、それは税金の取り立に問題が有ったのです。稲作の出来が良い年は「殿様が60%で農民は40%」にすれば、これは合理的でしょうか。一方稲作の出来に関係なく「殿様が50%で農民が50%」と決め、その割合は変わりません。この場合の税金の取り方は、稲作の出来不出来に関係なく、双方とも50%の一定です。農民の税金が一定で変わる事なければ「余裕の金が生まれる」のです。その余裕金こそが、貧乏から脱却出来た手段です。山口県と東北地方で差が出来たのは「税金の取り立て方法が違った」のです。東北地方の幕末は、税金の為に散々だったのです。

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