日本歴史と雑事記録

世界史と雑事記録

安倍元総理と統一教会と悲劇の一家

出典:週刊新潮、7月21日風待月増大号から


今度の安倍総理への銃撃テロは、撃たれた方も撃つ方共に不幸な出来事でしょう。今度の銃撃テロについては警備陣の不手際が有った様ですが、この襲撃は事前に察知してこそ防げるものですしょう。裁判沙汰がそれを証明してるようです。従って、現場に於ける警備陣の責任では無い様です。写真を見る限りでは、安倍総理自身が群衆の中に余りにも無防備で演説台に立ったようです。恐らく、自分の心の中で「テロに対する恐怖や、テロ等は有り得ない」と言う自負が有ったかも知れません。


一方での山上容疑者には宗教団体に積年の恨みを抱いていて、風船の様に膨らみ爆発してしまったのが今度の銃撃テロだろう。


政治と宗教には、切っても切れない関係が有るのは世界共通のようです。キリスト教圏(例、米国)等に於いても、それは顕著のようです。日本でも、与党である公明党は宗教団体の集まりです。今度の参議院選挙に於いても「F作戦」なるものが有って、これはフレンドだと言う。信者は、その友人の誰彼無く投票を依頼するそうです。統一教会も又、今度の参議院選挙時には立候補者がいて見事に当選したとニュースで知りました。日本の与党であれ野党であれ選挙時に成れば「一票が欲しく」宗教に近づくようです。応援メッセージ等を出せばそれを勲章とするのです。


私等は、生きるのが精一杯で宗教等は考えた事も無かった。家族を守る為に、経済的な余裕は無かったと言うのが真実だろう。幸にして命に係わる大きな事故も無く「神様仏様を唱える事無かった」のです。万が一に交通事故や羅病したなら、神様や仏様に助けてくれと唱えたかも知れません。但し、神社や寺のお参りし、賽銭箱に小銭をいれて家族の無事を願うのは人並みでしょう。


恐らく、山上容疑者も多感な年頃の頃には「心の中で誰か助けて欲しいと」切に願ったろう。本来で有れば、多感な少年時代の頼れる友は父母で有るべきですが、残念ながらそうでは無かったようです。父は早く亡くなり、頼るべき母はナゼか宗教に心を奪われてしまったのです。その頼った宗教がサターンだったのです。財産を全て巻き上げる等は、本来の宗教では無いだろう。かくして「悲劇の幕が始まった」のです。山上容疑者は責任を負わなければ成りませんが、宗教と政治の問題も「現政権の大きな課題になる」だろう。個人を不幸に陥れるのが、本来の宗教では有りません。

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